弁論大会と記事に共通するもの
中学生のときに弁論大会に出たことがあります。
といっても、市の大会までですが。
でも、クラスの代表になって、学校の代表になって、となったときに、市の大会まで国語の先生が毎日放課後に特訓してくれました。
読むときにここで間を取る、とか、ここで顔をあげて会場を見る、とか。
でも一番印象に残っているのは、原稿の最初の部分をばっさりカットされたことです。
私としては、そこはどうしてこのようなことを考えるようになったか、という導入の部分なので、ある意味力をいれていたところ。
今考えると、その原稿はいじめについてという、いかにも大人が喜びそうなことをとりあげていて、導入部分で「私が見かけたのはいじめではないか」と始めていたのです。
学校側としたら、そのような事実があるとなると大変になるので、そのような発表はしてほしくなかったのかもしれません。
でも、それ以外にカットされた理由は、今記事を扱うことになって、ちょっとわかる気がします。
それは、人に訴えかけたい記事だったら、最初に体験談を持ってきても、あまり訴えかけられない、ということ。
記事を構成するうえで導入文というのは必要ですが、それはその先の記事に興味を持ってもらうためのものになってなければいけないです。
ので、「なんだろう?」「どんなものだろう?」「自分にもできるかな?」という少し疑問をもたせるものが先へと進ませてくれます。
弁論大会でもだいたい「みなさん、〇〇について考えたことはありますか?」という始まりが多いですよね。
それで自分がそれについて考えるきっかけになった体験談というのをいれていきます。
記事だって、体験談が入っているとぐっと身近になるのですが、それを冒頭に入れてしまうと、だれてきてしまいます。
「なーんだ、自慢話か」という印象で、その先の理由や商品紹介といったところまでたどりついてくれないかもしれません。
人に訴えたい場合は「疑問?」「すぐ答え」「理由」「体験談」「結論」という順番のほうが、人には入っていきやすいのかな、と思います。
じゃあ私のブログはどうなのか。
ほぼ体験談から始まっています(笑)
ブログっていうのは、訴えたい系とはまた違うと思うんですよね。
まず読んでもらった人に「そうそう、あるある」と思ってもらって、ぐっと親近感を覚えてもらってから、その先を読んでもらうもの、と思うんです。
ブログ読んでると、そういう構成が多いですし、そのほうが読みやすいと私も感じています。
果たして弁論大会なんてものが、「あるある」と思ってもらって、親近感を覚えてもらうような内容か、というと・・・。
うーん、誰にでもある話ではないけど、弁論大会のニュースとか見て「なぜみんな同じような話し方なんだろう?」くらいは思ったことはあるんじゃないかな、と思います。
この記事でも書いたんですが、どのようなスタイルの記事が求めらえるというのは、その時々で変わってきます。
なので、それをクライアントさんからきちんと聞いておく、またはサイトから読み取る必要があるのかな、と思います。
【ライターおやかた】