どうヤバイの?どうスゴイの?
日ごろ文章に関わる仕事をしているわたし。
いざパソコンに向かって文章を書くときにはきちんとした言葉を使うとしても、日ごろから心がけていないと、すぐにできるものではないな~と思います。
普段から使っている言葉や語彙が、文章を書く仕事にはてきめんに現れるのではないかと思います。
例えば「ヤバイ」「すごい」という言葉を日常で使うシーンが多くあります。
ですが「どうヤバいのか?」「ヤバイのは何なのか?」「どうすごいのか?」が伝わってきません。
他の言葉で表せないだろうか?ということを、物書きは考えていかないといけなんじゃないかなと。
以前瀬戸内寂聴さんが、近頃のリポーターは「わーすごい」「すごいきれい」みたいなことを言う、と嘆いていらっしゃいました。
どうすごいのかを、自分なりの言葉にしないといけないということです。
それは何も難しいことではなく、例えば「遠くに山が見えます。その前には川が流れていて、せせらぎがキラキラと光って見えますね」などと、目に見えたことを素直に文章に直すだけでも、ずいぶん印象が違ってくるともおっしゃっていました。
便利な言葉を使ってすますのではなく、自分なりのフィルターを通した言葉を使っていかないといけないな~と思ったのを覚えています。
人間には喜怒哀楽がありますが、それぞれをどう感じたのか、どこの部分にそう感じたのか、自分がそう感じたとき周囲の人はどうだったか、他の人はそれをどう感じるのか、というふうに考えていく。
自分の感じたことがどういうものなのかを、自分の言葉で表していくんですね。
それを、家族たちと何気なくしている日常会話の中でやっていけたら、それはそのまま文章力の練習になるのではないかなと思うんです。
いま私には、高校1年生と小学3年生の娘たちがいます。
彼女たちは日常で「ヤバい!」「スゲー!」なんて言葉をよく使っています。
「どんなこともヤバいっていう一言で片付けていたら、しょうもない大人になってしまうよ」とたまに忠告しますが、なかなか根治するのは難しいなあと感じますね。
ですが例えば好きな男性ができて食事に行ったとき、おいしい料理を食べて「この味ヤバイね!」なんて言っていたら、いくらかわいく着飾っていても、「この子つまらないな」と思われてしまうかも。
グルメレポーターのような感想が言えなくてもいいんです。
自分なりに何がどうおいしかったか、あなたと一緒にいただけたからおいしいんだというふうに、気持ちを自分だけの言葉にして伝えられるような人になってくれたらなぁと思います。
そしてかくいう私も、まだまだ成長の途中です。
自分の気持ちをできるだけ多くの言葉を使って、より的確に表現できるようになりたいなあ~と思いながら、毎日パソコンに向き合っています。