病気にならなければいい!
先日、4駅離れた街に住む私の妹宅に、小4次女が遊びに行っていました。
帰ってきてしみじみと「〇〇ねえねのおうちはすごくきれいだったよ。なんでうちはこんなに散らかってるん?」と聞いてきました。
本当のことなので腹も立たず、むしろおかしくなってきて「ほんまやね~、なんでやろうなあ」と答えたわたし。
わたしの在宅ワークがフルタイム状態になってからの、家事の手抜き具合といったらひどいものです。
ごはんは手作りか否かにかわらず食べられたらいい。
栄養は1日全体で見て足りていればいい。
洗濯物は洗って乾いていればいい。
シンクの食器は1日1回洗えばいい。
掃除は汚れが気になった者がやればいい。
これらすべての基本は「病気にならなければいい」です。
ここまで割り切るまでにはかなりの時間と覚悟が必要でしたが、一度割り切ってしまえば大丈夫です。
要するに、気になってしまう自分自身をどうにかすればいい、ということなのですね。
最初は夫や娘たちも不満を漏らしていました。
しかし最近では、洗って干すところまでしかわたしがやらないので、夫はアイロンを自分でかけるように。
これは自分がパリッとしたワイシャツが着たいからです。
また娘は、普段の洗濯で一緒に回して欲しくないおしゃれ着を、自分で専用洗剤を使って洗うようになりました。
これはウールなどの素材を、普通の洗剤で洗って縮ませたくないためです。
このように最低限のことだけをやっておけば、プラスアルファが欲しい人が自分でそれをやるようになったんですね。
見る人が見たらまゆをひそめるようなことかもしれませんが、今はとにかく仕事をしたいので、自然とこういうスタイルになっていったのです。
しかし自分の中で揺らぎがちだった芯が「病気にならなければいい」ところまで基準を下げると、すっかり揺れなくなったのは発見でした。
例えば掃除も、ほこりが舞い上がりすぎて気管支を傷めるなと思ったら、わたしも掃除します。
布団にカビが生えたら、健康的な被害が生じるのでカビる前に干します。
それくらいの基準にしておくと、毎日「あれもしなくちゃこれもしなくちゃ」と思わなくて済むんですよね。
こうやってだんだん人間はずぶとく動かなくなっていくんだなという、ひとりの人間の進化(退化?)を自分の体で実験してるようで面白いです。
とにかくこうやって基準を下げたことで、わたしはどうにかして在宅ワークと日々の暮らしを回しています。
そしてこの先も、このスタイルが続くでしょう。
このスタイルから娘たちが何を学ぶのかはわかりません。
自分も複数を両立するためにこのスタイルでいこうと思うのが、こんなのはイヤだからもっとちゃんとしようと思うのか。
どちらに転んでも、まあまあいいんじゃないかな?と、楽天的にわたしは考えています(笑)
【macky215】