いかに理想に近づける努力をするか
ブログをやっていると、コメントをいただいたり、ブログ内の疑問を教えていただくことなどもあります。
ありがとうございます<(_ _)>
そのたびに「無知だなぁ」とか「私が語っているのは理想なんだなぁ」と思い知らされることもしばしば。
ブログなんだから、好きなこと語っていいと思うし、嘘ついてまで書きたいとは思わないけど、ちょっと実現不可能なことを語ってもいいと思ってます。
でも画面の向こう側で「ぷ!こいつ何言ってんだよ!」と笑われてるかと思うと、ちょっとへこんだりもするのです。
へこむというのはどこかで「できるもんならやってみたい!」と思っているわけであって。
その『理想と現実をいかに埋めるか』ということが、毎日の努力ってやつなのかな、と思います。
ライターやってても、その『理想と現実』の間を埋めることができなくて、もがくことがあります。
頭の中では、「こうやって、こう書いて、これくらいの文字数の記事になって」と全体像が見えて「もうばっちり!」と思い、それで書き始めると、意外と理想に遠い記事ができあがることがあります。
よくあるのが文字数が足りないこと。
これだけの内容を書いたら〇文字になるだろう、とよりよくまとめたら、規定の文字数を超えてないことも。
自分の中ではまとまってしまっているから、文字を足すというのは、余計な内容を足すことになるおそれ(文字稼ぎ)にもなりかねないので、余計に労力を使うのです。
どちらかというと、記事の作り方としては、たくさんの情報を出して、それから不要なものを削るほうがいいんですけどね。
もしくは文字数が多少オーバーくらいなら怒るクライアントさんも少ないと思うので、必要な情報と思えば、全部入れちゃってもいいと思いますし。
でもそうやって、文字数を規定に近づけようとしたり、内容を読み返して説明が不足だったかな、この文章余計だったな、と足したり削ったりしながら記事を完成させていくのが『理想と現実』を埋める作業なんだと思います。
そして最大限に「自分の書きたかった内容はこれだー!」という理想に近づけた『現実』の記事を納品することになると思うんです。
「この程度でいいだろう」という記事は、やはり読み手も「この程度の内容か」と思ってしまうと思うんですよね。
どこかの政治家さんが「これから汗を書いて頑張っていくしかない」と言っていましたが、記事を書くこと自体で汗を書くことはないかもしれません。
でもそれくらいの思いで書いているライターさんの記事は、やはりいいなぁ、と思うことが多いです。
やはり「よく調べているなぁ」ということが伝わりますからね。
私のブログも最近たくさんブックマークをつけていただくことがあり、複数の記事に渡って読んでいただいているのもブックマークから感じることができます。
でもいい加減な内容になれば、いつでも読者をやめられてしまうだろうし、たまたま見た1記事がつまらないものだったら、ほかの記事まで読もうとは思わないだろうし。
次に続くような記事を書いていかなければいけないな、と痛感してます。
【ライターおやかた】