記事への間違ったこだわり
記事の作成というのは、これが正解というのがありません。
究極、わかりやすかったらOK、といえるかもしれませんね。
しかし、こちらが思いもしなかった記事を納品してくださる方もいます。
ときどき見かけるのは、小説や詩のような記事を送ってくださる方がいます。
ちゃんと意味は通るんですよね。
でも詩のような文章ということは、無駄な文章も多く含まれてしまう、ということになります。
「まるで~のようだった」とか入るだけで、すごく情緒的にはなりますが、うちが求めているような、情報の詰まった記事というものからははずれてしまいます。
やはりライターとしてやっていくからには、クライアントさんからの要望に応えた記事を納品してほしいな、と思います。
あと多いのは悪口。
「デメリット」というキーワードが入ると、悪口になってしまう記事があります。
口コミ募集という記事なら、自分が受けた嫌な思いを書くのももちろんアリです。
でもデメリットについて説明をしてほしい記事に、自分の感情をぶつけた記事を作成されると、これは使えないなぁ、となってしまうのです。
このようなところはまだ想定内ではあります。
でも想定を上回る記事の作成方法で納品されるライターさんがいたのです。
それは記事を真四角に書く方でした。
最初、うちのスタッフさんに「〇〇さんの記事、真四角なんですけど・・・」と言われ、何のこと?という感じで、テキストを開封。
すると、文末がきれいに一直線に並んでいるのです。
まさに見た目が真四角。
それで文章が成り立っているのだったらもちろん問題ありません。
しかし、おそらく一直線にそろえるために、文末がめちゃくちゃで、文章として成り立っていません。
です、ますで統一されてないのは当たり前ですが、あえて脱字をしているものもありました。
もちろんそれは修正をお願いしましたが、そういう見た目にこだわった記事作成をする方もいるんだ、と認識が変わりました。
自分の記事を書くスタイルにこだわりがあるのは、特に問題はないと思っています。
もしあるクライアントさんの求めるものでなければ、その記事を受け入れてもらえるクライアントさんを探せばよいわけなので。
そういう点で、この記事を書けば正解というのはないと思っています。
ただ、わかりにくい、文章として成り立っていない記事はどんなクライアントさんに持って行っても受け入れてもらえないと思います。
やはり記事である以上は、だれか読み人がいるわけで、その読んでもらう人の立場に立てば、自分がもっているこだわりというのが、必要なものか、そのこだわりは捨てなければならないものか、というのはおのずと見えてくるのではないかな、と思います。
【ライターおやかた】