「盛ればよい」というわけでもない
食べ放題って好きですか?
私も昔はよく行っていました。
ケーキバイキングとか「10個食べれば元取れるかな」といいながら、帰りは「お金払って、なんでこんな気分悪くなるまで食べたんだろう」と反省しつつ。
でもやはり食べ放題は「元取らなきゃね」という気持ちが強くでてしまいます。
最近はすっかり胃が年をとってしまったらしく、ちょうどいい「おなかいっぱい」で終わりたいと思うようになりました。
食べ放題行っても「これ以上食べたら苦しいだけだよね」と思って、元取れてない気がしてもやめてしまいます。
実際はギャル曽根さんくらい食べないことには、元がとれないような仕組みになっているのかもしれませんけどね。
こんな欲張りな私なので、記事でも欲張ってしまうことがあります。
なにか調べて書かなければいけないときに、あれこれとサイトから情報を引っ張ります。
そのときに、さまざまな情報があって、それが自分でも知らなかったり、きっとこれはみんな知りたいことだろう、と思うと、全部入れたくなっちゃうんですよね。
でも、全部入れて記事を読み返すと、かなりまとまりのない記事になっていることが多いんです。
「とっちらかっている」というか。
いろいろ情報を盛りすぎて「結局何が言いたかったの?」ということになりがちなんです。
なので、調べた情報を全部盛り込めばいい記事になるとは限らないと思うのです。
またまた食事の話に例えると、やはり前菜があって、スープがあって、メインがあって、最後にデザートでしめると「あー、おいしかった」となると思うんですよね。
食べ放題みたいに「これを食べると元取れるよ」とか「好きなものは皿いっぱいに盛って食べなきゃね」となると、同じ食事の量だったとしても「なんか苦しい」となってしまうように思います。
なので、記事だって役立つ情報が盛りだくさんだったとしても、導入とシメがいまいちだったら、「うーん、イマイチ」となってしまうのではないでしょうか。
じゃあ導入とシメがばっちりだったら中身をどれだけいれても大丈夫か、というとそうでもないように思います。
シメがばっちりということは、着地点が見えているということでしょう。
導入文だって、これからどういう内容を書くかわかっているから書ける部分でもありますよね。
着地点が見えているということは、そこに向かって、どの情報を入れればいいか、取捨選択が必要となってきます。
いくら全部が本当の情報だったとしても、着地点に必要ないものであれば、入れる必要ないですよね。
いくらおいしい料理でもメインで「牛肉」「豚肉」「鶏肉」「青魚」「白身魚」「川魚」って全部でてきたら、もういいよ、ってなってしまいます。
それよりは「牛肉」と「白身魚」の凝りに凝った料理を食べるほうがおいしくいただけるのではないでしょうか。
料理の話と記事の話が混在していますが・・・。
でも、記事を読む人にとっては、全部入れることでおなかいっぱい、つまりもう先を読む気にならない記事になってしまうかもしれないということです。
もちろん記事によっては「これを読めばすべてがわかる!」といったものもあります。
そうなるともちろん盛りだくさんになるし、それを最後まで読ませるには、かなりのテクニックもいると思います。
ただ3000文字程度であれば、盛り込みすぎると読みにくい記事になってしまうのではないかな、と思うのです。
欲張りな私が苦労することは「いらない情報を削除すること」です。
構成を考えつつも、記事を書いていくうちに、文字数を大幅に超えることが多い私。
そうなると削らなければいけなくなるわけです。
つい「せっかくここまで書いたのに~」って残したくなっちゃうんですよね。
でも読み返すと必要なかったり、話がくどかったり、削る部分というのも見えてきます。
段落1つを消すこともしばしば。
無計画に書いていることが原因と思うんですけどね。
ブログも好きに書き綴っていますが、読み返すと「いらんなぁ」って思った部分は、ばっさり消してしまいます。
やはり中身を盛りに盛ってしまうと、読みにくい文章になるな、と実感しています。
文章を書いていると、つい知っていることや調べたことは入れたくなるのですが、「ちょうどいいおなかいっぱいの量」と考えれば、文章を足したり削ったりもできるようになるのかな、と思いました。
記事をちょうどよい文量で書いていただける方はこちら
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【ライターおやかた】