『完璧主義』の捉え方
私にはとてもお世話になっている方がいます。
子供の育児相談をさせていただいている大学の先生なのですが、いつも予約がいっぱいで、半年に1回相談できればいいほう。
先日「キャンセルがでたから」ということで、育児相談をさせていただきました。
この先生、なかなか個性が強いし、言うことも極端。
「発達障害の子の親はね、モンスターペアレントにならないと、子供を守ってあげれないよ!」と言っちゃうような人です。
でも、こういうことを言ってくれる先生なので、心にぐさっと刺さるんですよねぇ。
今回も子供の相談といいながらも、親の教育のような面談でした。
その中で「私がたぶん完璧主義だから、人にも求めてしまうんでしょうね・・・」と言ったところ、あっさり否定。
「あなたの場合、完璧主義じゃなくてただの融通が利かない人ですから」と言われちゃいました。
その先生が言うには、完璧主義というのは『あることを100%やることができる人』をいうのではなく。
70%や30%といったいろいろな多様性があって、それをちゃんと認めることができて、それらすべてをこなせることが、完璧主義なんだ、と。
なるほどぉ、そういう考え方もあるか、と思いました。
もちろんこの考え方には賛否両論あると思います。
1つのことを完璧にこなす、『完璧主義』だってもちろんあるでしょう。
ただ、私のような1つのことにこだわりすぎて、ほかの方法がだめだ、と思ってしまうような人にとっては、『完璧でなくて、融通が利いていないだけ』というのは心の薄皮を剥かれるような気分になるのです。
この記事に書いたことも、おそらく私の「こうであらねばならない」という堅い頭のせいで、視野が狭くなっていたんでしょうね。
たくさんの記事を見るという立場であれば、もう少し頭をやわらかくしなければ、と思った次第です。
ライターの立場だったらどうか。
私はこのブログのような記事だったらどんどん書けるし、あまり苦労も感じないです。
ただ、「調べて書いてね」とか「コラムのように読み応えのある記事」と言われると、まず敬遠します。
「どうしても」と言われたら書くでしょうけど、しんどくて仕方がないでしょうね。
なので、いくらブログについては100%の自信を持って書いていたとしても、ほかの記事を敬遠しているようでは、完璧主義のライターとはいえないのかもしれないです。
私がこの先生のいう完璧主義のライターなのであれば、どのような記事でも「どんとこい!」と受け入れて書けるはず、なのかもしれません。
あと、以前書いた記事。
前述の先生が「僕ね、こういう立場だから言っているけど、じゃあ自分ができるかっていうとできないんですよ。でも立場上、アドバイスをしなきゃいけないからしているわけで、相手に言ったから自分も絶対できなきゃいけない、ってわけじゃないんですよ。」とのこと。
大学の教授様でも、私と同じような「立場上」言わなきゃいけないけどね、ということを抱えていたりするんだなぁ、って思いました。
冷静に考えれば、もしアドバイスをするような立場の人が、言うこと全部できてなければいけないなら、聖人君子しかなれないですよね。
また、自分はずっとその方法をやっていて「失敗したなぁ」という思いから、アドバイスができるということもあるでしょうし。
失敗から学んだアドバイスのほうが「あるある」ということで受け入れやすかったりします。
なので、自分にできていないから、といって引け目を感じることなく、言わなきゃいけないことは言っていいんだ、と思いました。
「なーんだ、みんなそんな思いでやっているんだ」とほっとしたような、目からうろこが落ちたような。
こんな話をすると、クライアントさんから「ずーーーっと前からそういうことを伝えていたつもりなんですけど???」と言われそうです。
飲み込みの悪いやつですみません。
しかも、前述の先生によると、「アドバイスなんてね、3日もてばいいほう。すぐに忘れてまた悩んじゃうから。」とのこと。
「じゃあどうしたらいいんですか?」と聞くと「何度でも相談においで」とのこと。
先生の予約、なかなか取れないんですけどね・・・。
でも半年くらいもやもやと悩んでいたことが、3日間だけでもすっと心が晴れるのはとてもありがたいことです。
先日も、もやもやと悩んでいたことを、クライアントさんにズバッと解決してもらいました。
やっぱり相談するって大事ですね。
特に、私のような完璧主義をはき違えているような人には大切なことかもしれません。
最近の悩みは・・・、このブログがまるで自己啓発セミナーのような記事が増えてきてしまっていることです(笑)
そろそろライター募集にも力を入れねば。
ライター募集についてのアンケート、ご協力お願いいたします。
【ライターおやかた】